2019年1月

花かんむり作品展 

場所     小山市まちかど美術館 小山市中央町2丁目1番8号 メゾンタカキュー1階 tel 0285-21-3381

主催 認定NPO法人サバイバルネット・ライフ   ※ WORKSHOP   「花かんむり」のページに紹介文があります

2018年 6月

花かんむり作品展 「暴力で心身に傷をおった女性たちの作品とことば展」~女性たちからのメッセージ~

 

日時   6月26日(火)~7月1日(日)   10:00~16:00 

場所     小山市まちかど美術館 小山市中央町2丁目1番8号 メゾンタカキュー1階 tel 0285-21-3381

入場料  無料   ※ワークショップなど申込み不要   

主催 認定NPO法人サバイバルネット・ライフ        WORKSHOP   「花かんむり」のページに紹介文があります

2018年

Made In China 006: Sound Scenes Yinchuan 松本秋則展 MOCA 銀川 〈スタッフとして参加〉

銀川当代美術館(MOCA銀川)における本展示は、松本秋則の代表的な作品群を一堂に会し、これまでにない大型の回顧展ともとれる彼のサウンド・オブジェの世界観を十二分に味わうことができるものです。

現地制作の様子をブログで公開しています。

 

会期 2018年3月16日(日)~5月27日(日)

場所 MOCA銀川 No.12,Hele Road,Xingqing District,Yinchuan City,Ningxia Hui,Autonomous Region,750101

2016年

「会津木綿と会津刺し子展」  ギャラリー無何有(稲村ヶ崎アートフェスティバル)

2015年
大地の芸術祭特別企画今日の限界芸術百選展アシスタントコーディネーター 

2013年6月 大槌駅 阿部美香子
2013年6月 大槌駅 阿部美香子

2013年 「3.11から今 復興を願う」写真展  関東大震災90周年展関連企画  横浜都市発展記念館 2013.7.13-10.14 〈企画〉

[前期] 「だけど僕らはくじけない~大槌町から~」阿部美香子展 2013.7.13-815

 

ごあいさつ(キャプション文)  阿部 美香子

この震災の記録は、緊急支援活動で大槌に来ていた看護師の友人と町を歩いた時に撮影したものです。
きっと、私ひとりでは、町を撮影することも、歩くことさえできなかったと思います。
2011年3月11日、私はマダガスカルにいました。ずっと家族と連絡がとれず、泣いてばかりいたのを思い出します。
3月17日に帰国し、盛岡から出発する物資が積まれた緊急車両に乗せてもらい、実家についたのは20日の午後。実家は津波で2,3m浸水する被害を受けましたが、家族はすでに川から水を汲んで、家を掃除していました。震災当日、両親は車で一夜を過ごし、2日目に家を見に戻ると、3日目からは家を片づけたそうです。夜は山間にある小鎚(こづち)の祖母の家に泊り、5日目には家の階段部分を片づけ2階での生活を始めていました。 建具屋を営む父と兄は、敷地内にある木工所でそれから休まず、津波で被害に遭った家々の建具の修繕や新規の仕事を続け、私も去年までその手伝いをしていました。
本展では「だけど僕らはくじけない」という思いと、大槌町のことを知っていただければ幸いです。(抜粋)
                                                         
2013.7.19  読売新聞  『大槌町の傷痕 写真で伝える』
2013. 8.11 神奈川新聞 『等身大の故郷を伝え』

 

        

 

 

 

 

 

 

 

       

      パフォーマンス&ワークショップ 協力  

      つむぎね  2013.08.15 14:46

 

      

 [後期] 「いつか帰りたいぼくのふるさと~福島第一原発20キロ圏内から来たねこ~」 大塚敦子   2013.8.27~10.14

 

ごあいさつ(キャプション文)  大塚敦子
一昨年の東日本大震災による福島第一原子力発電所の事故では、人間だけでなく、動物たちもたいへんな被害を受けました。
原発周辺の住民が避難したあと、多くの犬や猫、牛やブタなどの動物たちがとりのこされ、命をおとしたことは、いろんな本や報道をとおしてごぞんじの方も多いでしょう。わたしは昨年1月、原発から4キロのところで保護されたオスのトラ猫を引き取りました。
何ヶ月もひとりぼっちで生きぬかなければならなかったにもかかわらず、人を信じる心を失っていない愛情深い猫でした。きっと家族に大切にされ、かわいがられていた猫にちがいない。それがはっきりわかりました。福島から来たから「福ちゃん」と名づけたのですが、なんとその後、もとの家族が判明し、「キティ」という名前だったことがわかりました。 ふるさとの美しい自然が放射能に汚染され、いつ帰れるのかもわからない……。キティの家族と出会ったことで、福島の人びとのふるさとへの思いや帰れない悲しみが、いっきに身近なものとしてせまってきました。
そこで、原発事故によって、福島の人びとや動物たちに何が起こったのかを、キティという一匹の猫の眼をとおして語る本を作ろうと思い立ったのです。 その後、キティの家族の一時帰宅に同行させてもらったり、キティを救ってくれた動物愛護グループから保護した場所を実際に見せてもらったりしました。
その結果、キティがわたしのもとに来るまでの旅が一つの線でつながり、写真絵本「いつか帰りたい ぼくのふるさと」が生まれたのです。
福島の人びとの苦難は、その後もずっと続いています。原発事故はいまも収束にはほどとおく、自分の家に帰れない人が15万人もいます。 キティと家族の想いに、どうぞ目をむけ、耳をかたむけてください。 「知ること」「わすれないこと」-すべてはそこから始まると思います。                                                             

(注釈)実際のパネルにはお子さんでも読めるように漢字には全てルビをふってあります。

絵本「いつか帰りたいぼくのふるさと~福島第一原発20キロ圏内から来たねこ~」大塚敦子 小学館

2013.9.21 朝日新聞 『原発事故 猫の視線でとらえた』

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