岩尾恵都子  2014.10


「絹の子 ねがお」                           
「絹の子 ねがお」                           

岩尾恵都子さんは1993年に多摩美術大学大学院日本画科を修了し、2000年には新人作家の登竜門VOCA展にて大賞を受賞。層が幾重にもなる独特の透明感あふれる美しい描写にファンも多い。制作の為に特別に取材などはしないという彼女の日常から切り取られる様々なエピソードや風景が、どのように作品に映し出されているのか。その一端を知りたいと思いました。
前回2013年12月Face to Face#3 ギャラリーカメリアで石塚雅子さんと岩尾さんのアーティストトーク以来のインタビュー。浮遊感のある構図や何かを物語るような不思議な世界観をもつ岩尾さんは、一方では子育て、義父さんの長い介護の合間にも淡々と制作するのがあたりまえだったという家庭人でもあります。2015年1月10日から開催予定のクインテットⅡ東郷青児記念・損保ジャパン日本興亜美術館を前にして、描くことが生活そのものと言える彼女にこれまでの作品や、日常についてお聞きしました。

作品ファイルを見ながら ~学生時代~

               VOCA展 Oslo、Cuzco(2000) 

学生時代は日本画を専攻されていたのが、卒業後油絵に変わりましたね。

 

あ、その前にアクリル画を描いてたんです。2000年のVOCA展の頃はアクリルでしたね。綿布に。それ以前の個展はアクリルでしたね。(1998年以降のポートフォリオの写真をめくりながら)あ~なつかしいね。日本画では牛など描いていて自分が描きたいものがわかってなかった時に、アトリエにアクリルで塗りかけのキャンパスがあって。それが風景として見える瞬間があったんです。その制作の延長に生まれたんだと思う。この頃は画面に1本線をひいて地平線を描き、塗り分けると風景のみなもとがでるということに興味がありましたね。

地平線の角度や表情で世界のはじまりというか。風景の骨格というか。そのような仕事は2000年までかな。タイトルは地名が好きで、南半球と北半球から選んでる。見る人のとっかかりになればいいなと。響きも好き。

≪太陽の裏Ⅳ≫2000(右)これは構図がおもしろいですね。水道橋のようなものが画面の中央を走るような。

形が何にでもとれるような抽象的なものにしたくて、そして浮遊感のあるような。

始めからそういうイメージがあって描き始めるのか、手が動いていくうちにイメージがつかめてくるのか、どうなんでしょう?

あらかじめこういうのを描くと決めてます。こういうアンバランスなものを描こうとしていて。モノが逆さまになっていたりね。これはVOCA展が終わってからすぐの展覧会の作品ですね。

この時期はまだ義父さんの介護をされていないんですよね。

まだ介護はしていなかったですね。え、菊池さんはどうしてたの?2000年あたりは。

私は身体こわして倒れてました(笑)それに父が癌で余命があと少しという頃で何も見えない時期だったかな。

そういう時ってあるよね。義父の介護の時もなんとか制作は続けていたかな。でもとりあえず描いてるだけ。もう他に何もできなくて。何かもっとできたんじゃないかと今になって思うけど。

絵と向き合うだけでも大変なことじゃないでしょうか。描くことでバランスをとっていたのかもしれない。描くことが身体にしみついているというか。描かないといられないということなんでしょう。

そう。こどもが生まれてもおんぶして描いてたし。

ほぉ~(撮影のキサカミオ(子育て中)と一緒に感嘆)。

子どもが生まれた時はすでに油絵を描いていましたね。

子育て中だからって、スケッチとか鉛筆や水彩など扱いやすい手法にはならず油でガンガン描いていたんですね。

そうそう。友達からキャンバスの貼り方を聞いて(笑)だって私、油絵なんて描いたことなかったから。日本画専攻だったし。(作品ファイルを見ながら)子どもが生まれても大して作品変わってないでしょう。心境の変化が見えるとか、急に絵がうまくなるとかもないでしょ(笑)               

  写真右 娘さんの作品 

あはは。急に絵がうまくなるなんてことはないですよね。

ないよね。

ー制作こぼれ話ー
作品にもどりますが、天地が逆になっているような絵がありますが制作の時によくやるようなキャンバスを逆さまにして描くということもあるのでしょうか。

それはないです。こういう吸い込まれるような絵を黙々と描いてましたね。地平線が上にいっちゃってたりとか。家がどこにくっついているのか、地面がどこにあるのかわからないというような絵を描こうと思って描いていた。

Sydney(2001)              リマと北京(2001)

2003年BOICE PLANNINGで発表された作品の中にはシドニーとか北京とかリマとか地名のタイトルがあります。どういうことなんでしょう。
それはね、シドニーが好きとかじゃなくて世界のどこかということを描いているんだと思う。南半球だとか北半球だとか行ったことはないけれど、地球が丸いってなんか信じられないよねっていうことを考えながら。

制作する時に参考にするようなものってあるんですか?

面白いと思った写真を逆さまにして見てみたり、切って拡大してみたり。どちらかというと作為的に遊んでみるというか。

あそこにも(アトリエの片隅を指して)「山と渓谷」があるけれど、雑誌とか好きですか?赤岳をモデルにしてよく描かれるし。

好きでたまに見ることはあるけど、使うことはないですね。

素朴な質問ですが、ひとつの作品について制作時間はどれくらいかかるものなんですか?

2,3週間かな。集中して描いてしまう。

油は乾くのに時間がかかるから、もっとかかるのかなと思ってました。

アクリル画の時もわざと乾燥を遅くするメディウムを使うこともありましたよ。それだったら油がいいよ~と油絵の友達に薦められて変えてみたの。

日本画から油絵へ ~美大受験って~
そもそも日本画はあまり合わなかったということ?

そうそう。なんで日本画にはいったんだろう?ってことだよね(爆笑)

受験する時は鉛筆デッサンとか細密に描くから大変でしょう。それでも選択したわけは?

まず美大に行こう、じゃ専攻はどうするか。まず予備校で考えるよね。油絵科に入ったら、ごつごつした岩みたいな絵を描いてるの。受験の絵っていうのかな。あれが嫌だった。

ペインティングナイフとか使ったりしてね。

そう、それよりも絵の具を薄くのばして、層を重ねていく、今でもそうなんだけど、そういうことがしたいのに受験の油絵のああいう感じは私には無理と思ったんです。それやったんでしょ、菊池さんは。

やりましたよ。(笑)中には絵の具に歯磨きペイストを入れて描いてる人もいて。その人芸大に受かってた。当時予備校といっても各校に特色がありましたし、岩尾さんはきっと日本画への興味もあったんでしょうね
そうね。日本画の作品もちょっとは好きだったし。

それは岩絵の具を二カワで指で溶きながら、段階的に積み重ねていく手法とか和紙の感触とか?

工程はね、そういうのに酔っちゃうという傾向があるんだけど実際使ってみたら難しいんだって、日本画の絵の具って。ほんと、工芸の世界。

日本画科の友人が多くて、もぐりこんでベニヤに紙貼ってみんなのあまってる絵の具をもらって描かせてもらったことがあるんですが、濡れてる時の色と乾いた時の色がちがうしそれだけでも難しいと思ったことがあります。

工程とか作法とかそれにまつわる話というか、それはとても美しいし現代人にとっても魅力的なんだけど、それで自分のやりたいことをやろうとするのは無理。(沈黙)ちょっと無理(笑)
多摩美は芸大ほど写実重視じゃなかったから好きにはできるところだったけれど。日本画の枠の中で自由なことしていますっていうことだったら、それは広い平面の世界の中から見たらなんの新しさもないわけで、それに気がついて。大学院までは日本画の制作をしていたけれどその頃見ていたのは現代美術でしたね。影響も受けていたと思う。それで大学院を修了してすぐやめたんです。最近では松井冬子さんや山口晃さんみたいに日本画の技法を使いながらも、新しい世界観を作っている人もいっぱいいますけどね。

日本画を学んで良かったことは?

道具を大切にしようと思ったことと絵の具は使ったらしまうというそういう人間形成。あと料理も上手になったと思う。日本画を学んだことで、まず下準備が大切ということ。はやとちりするとうまくいかないよということ。がさつな私に良かったことかな。工程が大切ですからね。

顔を描く ~未発表作品≪朝顔≫2009を前後して~
2010年APS+ギャラリーカメリア共催≪岩尾恵都子展≫は2005年APSでの1回目の個展以来5年ぶり、2007年ギャラリーMoMoからは3年ぶりの発表でした。私は2010年の個展を拝見して、まだ未発表の≪朝顔≫2009年を知りそれ以前の作品群を追いかけることになったのですが。≪朝顔≫は「ニッポン 現代アート」高階 秀爾著にも取り上げられているのに、実際には公開されていないんですよね。ブック・アサヒ・コムの書評で原田マハさんが「現代アートはわかるものではなく、感じるものだ」と添えていたのでリンクさせてもらっています。それにしても、これまでの作品の中にこどもや人が描かれていても顔を描くことはなかったのに、2010年以降風景に溶け込むような表情が現れ出した。これは?

人物を描くことはとても勇気がいることで。風景になじむように描きたいんだけど、なかなか。

 

≪4隻のボートⅠ≫2005 (右)photo by Toshiharu Sasaki.


この時は小さな人々がかろうじて画面の上部に描かれていますよね。

これは、この世界の不安定なものにどこに自分がピンをたてるか~と思って舟を描いていました。世界はとても不安定なもので天も地も空も海もいったいどうなっているのかわからないけど、なんとか生きていこうという感じ。自分の存在する位置を確認したいというか。 人物を描く時はバックとなる空間だけを描いている。その絵の中に自分の意思とか人間を小さく置くことで中心となるものが欲しかったんだよね。

 

 

 

≪京の夢、大阪の夢≫2007 (左)photo by Toshiharu Sasaki


これは上から湖を見下ろしているような感じで描いているんだけど。カルデラ湖のイメージ。

稜線を歩いているような景色ですよね。

よくこういう風景写真の記事など新聞から切り抜いていました。

鮮やかな緑のグラデーションのようにストライプで描かれていますね。

 

いつもなら一色で平面を描くのだけど、本当にそれを塗りつぶしていいのかって思って。ひとつひとつに意味を考えてみようと。全部解体していくという感じで描きました。ただ自分のやりたいことを解析していこうと思って。

岩尾作品の中でも使われない色ってありそうですね。

透明感のある色に興味がありますね。色を重ねて層を作っていくというのは今も昔も変わらないですね。そこだけかな、変わっていないのは。

この時期は義父さんの介護をされていましたね。

                   ≪朝顔≫2009        photo by Toshiharu Sasaki.     
                   ≪朝顔≫2009        photo by Toshiharu Sasaki.     

≪朝顔≫2009(上)の時もそうですね。  
最近は空と地平線の分け目もあまりないような、溶けあっているように見えますが。この≪朝顔≫の制作では、やっと自由に自分の好きな花なども描いてみたくなったと言われてますね。

 

自分がやれることは何なのか、探している時に花がひっくりかえって地面に落ちていたのを見て。地面に落ちてどのように存在するのかということを現わしている形に思えたんです。頂点から広がっていって、世界の果てまでつながっていくというか。

≪朝顔≫の時期には他に構図が逆のユリの作品があって、これもとても魅力的ですが未発表。 まだずっと先かもしれませんが、いつか対で拝見したい作品です。そして2010年の個展以降から山に移っていくんですよね。これも末広がりの。

≪赤岳≫2013               photo by Toshiharu Sasaki
≪赤岳≫2013               photo by Toshiharu Sasaki

 

この赤岳に目を入れていくというところにたどりつくまでにずいぶん時間がかかりました。命あるものと風景がどうやったら深めあえるのか。人間は物質(個体)で風景は流れていくもの、とらえどころのないものを1枚の絵にしていくにはって。2007~2010あたりまでは発表していないですね。試行錯誤というか。それで2013年にやっと赤岳を発表しています。

≪メタセコイアの私≫2013          photo by Toshiharu Sasaki
≪メタセコイアの私≫2013          photo by Toshiharu Sasaki

 

これは赤岳と同じ時期に描いているんだけど、もう目だけでいいんじゃないかって思えて。こういう山の風景の写真があって、なんか見ているうちに人が眠っているように見えたんだよね。いつもなら本物の人間を描いていたんだけど、溶けあうようにしたくて。もっとなじませるような。そうしたら説明なんてしなくていいな、似顔絵描いてるわけでもないしと思ったの。まつ毛も私の好きな末広がりな形(笑)。まつ毛好きだから。

まつ毛好きなんだ!! (笑)

 

 

まつ毛、好きじゃないですか?!みんな。目を閉じた時の形がとてもきれいだなって思う。 山並とか尾根と似ている。

なるほど。まつ毛の広がりか。。

 

日常 ー

≪黄金の眠り≫2010は強烈でしたね。こんな構図もあるんだ。そして暗雲垂れこめたような地平線とこれから何が起きるのだろうみたいな空気感。photo by Toshiharu Sasaki.

これって子どもを見てたら、こんな感じあるじゃない。あ、やっと寝てくれたよみたいな(笑)。

う~ん。確かに自分のこどもはしげしげ見ますね。鼻がつまってるな~とか、アレルギーがひどくなってきたかなとか。なつかしい。

≪朝顔≫2009のこどもが手を広げた形も、その頃子どもが一輪車に乗り始めていて、そんなことを見ていたからかな。

無意識に絵が日記のようになっていそうですね。自分にとっての日常が人にはそうは見えないということは往々にしてありますよね。

 

以前は眠る時に明日はどんな絵を描こうと思ってたけど、今は明日の朝ごはんは何にしようとか(笑)日常といえば、子ども会の活動とかも面白い。町内会の運動会に出ても、その光景が美しいと思ったり、平和だなと感じたりしますね。みんながやりたがらない地域活動、しかも少子化で子どもたちも稽古事で忙しいし、だんだん活動自体がなくなりつつあるからなおさら興味があるんです。回覧板作ったりポスター作ったり楽しいよ。いろいろな人と出会えるしね。世界が広がったというと平凡ないい方だけど。 


地域活動ってとてもおもしろいし学ぶことも多いですね。

こんな風に一市民として生活しながら制作していると、作品にいくつもの周波数があれば、多様な人がたちどまって見てくれるんじゃないかって思ったりします。

2013年のギャラリーカメリアでのインタビューで原風景といって思い出すものはなんですか?という問いに岩尾さんは、生まれ育った世田谷とか多摩センター付近の宅地造成された風景とか郊外が好きと言われていました。現在、武蔵野コッツウォルズと呼ばれる緑豊かな地域にお住まいですね。近くには、はけの森美術館もあって私も敬愛する彫刻家Wさんのお住まいもあるなど、ちょっと隠里みたいな印象があります。

 

そうですね。私の表現は地形とか空や地平線などと切り離せないですね。

取材中にアトリエにあった制作中の ≪絹の子 ねがお≫2014 (カバーフォト)
黄色い富士山みたいですね。この作品は2015年1月から始まる「クインテッドⅡ」東郷青児記念・損保ジャパン日本興亜美術館に出品されるんですよね。

この形が好きで。直球でしょ、この絵。

こどもの頃食べたプリンみたいに見えます。

そうそう、私もそう思う。もう少し描き足したいと思っているけどね。

唐突ですが、幼少の頃の思い出とか好きだったことなどありますか?

 

そうですね。葉祥明の絵が好きだったかな。平原に木がポンっとあったり。当時新鮮だった。今見ても好きかも。あまり変わってないか(笑)

最後に岩尾さんの制作について、2007年にギャラリーMoMoで発表されたテキストを下記にご紹介します。
不可思議な、ありそうでない、それでいてどこか体温を感じる彼女の世界観を彼女自身はどのようにとらえているのかその一端を垣間見ることができるかもしれません。


絵を描くにあたって、広い絵、大きい絵を描こうと思っています。
日常のどんな事もはね飛ばす広い絵、大きい絵。
私の日常は、目の前の出来事を淡々とこなす日々ですが、
遠く彼方の風景を切り取り、自分の手のひらにのせて
指で触ってみるような確認をしてみると、
平面的な日常も急に彩りを取り戻し、息を吹き返してくれます。
遠くの家の洗濯物が風に揺れる姿、多摩丘陵の木々の輪郭、
多摩川の橋を渡る京王線、そして永久運動のように流れる車。
そんなものを眺めているだけで気分は高揚してきます。
けれど、遠くの出来事は古いフォークソングのように甘く情緒的になりがちです。

それを避け、遠くを手元に引っ張りこんで描く事で、広く大きい絵ができるのだと思います。     岩尾恵都子(2007年テキスト)

                                                                                                                                


(編集後記)今回初めておじゃましたアトリエで過去作品も見せていただきました。ついつい作品ファイルをのぞきこみながら質問が止まらず、時折愛猫のじゅりちゃんが虫を追いかけて私たちの中に飛び込んで来たりとさながら近所の茶飲み友達の集まりのような感じでした。左右から自然光のはいるアトリエの傍らには若かりし頃空家から拾ってきたという文机があり、「古いものの方が好き」と笑いながら岩尾さんは、引き出しからお子さんのおもちゃや彼女のメモなどを見せてくれました。じっくりお話をお聞きしていると見過ごしていたディティールにも、彼女の記憶を発見します。絵の中を一緒に散歩するような楽しい時間でした。子育て中は、毎日のように絵本を読み聞かせ、絵本の絵を見るのと折り紙の色を見るのが唯一の楽しみだったという岩尾さんのお気に入りの絵本「うちのふくろう」。その家その家の子育ての記憶が絵本の話題でよみがえりました。

岩尾さんが出展する1月10日から始まる「クインテットⅡ」東郷青児記念・損保ジャパン日本興亜美術館の招待作家で集まった座談会で「制作中に交通情報を聞くのが楽しい」という話題に盛り上がったそうです。自分はアトリエから出ることが出来ないけれど、名古屋で交通渋滞とか東名で流れが悪いとか聞きながら世の中の動きを聞いていると心が落ち着くという人が多かったとか。「みんな空間を描いている人だからね」と話されていました。制作しながらも世の中とかい離しないことに安堵するということもあるのかなとこの話題については又あらためて会場で作家の方からもお聞きしたいところです。                                 撮影協力 mio kisaca

                                                                                     

【展覧会情報】
Art Jam 2014 Gallery Jin 3331Arts Chiyoda B108
日時 2014年12月4日(木)~21日(日) 12:00-19:00 月・火休廊
オープニングレセプション 初日19:00-20:30 夜21:00まで開廊

クインテットⅡ 五つ星の作家たち
日時 2015年1月10日(土)~2月15日(日) 10:00-18:00(入館17:30まで)  月休館(1月12、13日は開館)

岩尾恵都子 (略歴)
1968年  東京に生まれる
1991年  多摩美術大学美術学部絵画科日本画専攻卒業
1993年  多摩美術大学大学院美術研究科修了
個展                            グループ展
1996年 ギャラリー21+葉(東京)          2000年「VOCA展2000現代美術の展望-新しい平面の作家たち」
2005年 a piece of space APS (東京)                                   上野の森美術館 (東京)
2006年 ギャラリー東京ユマニテ(東京)                2004年「韓国国際アートフェア日本現代美術特別展」COEX(韓国ソウル)
2006年 第一生命南ギャラリー(東京)           2006年「アートとともに寺田小太郎コレクション」府中市美術館
2007年   ギャラリーMoMo(東京)           2006年「いまいるところ/いまあるわたし」VOCAに映し出された現在
2010年 a piece of space APS (東京)他多数                宇都宮美術館 他多数

受賞
VOCA展2000 VOCA賞
パブリックコレクション
第一生命株式会社  府中市美術館  東京オペラシティーアートギャラリー

≪クインテットⅡ ~五つ星の作家たち~≫ 損保ジャパン日本興亜美術館

広々とした空間に5名の作家が思う存分作品を展開できる稀有な企画展。抽象表現が多い中、岩尾さんの作品群はそのジャンルを
超えて圧倒的な迫力で岩尾ワールドに吸い込まれるような引力がありました。内覧会当日のアーティストトークも照れながらで、つい合いの手をいれてしまいましたが、かえって彼女らしさがそのままに伝わって会場を沸かせていました。
後日感想などインタビューできたらと思っています。会期は2月15日(日)まで

The Japan Times 2015.1.29  ≪赤岳≫2013がカバーフォトです。

《絹の子》2014 油彩 キャンパス   
《絹の子》2014 油彩 キャンパス   

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