川埜龍三 2014.09


2011年横浜トリエンナーレでワークショップ開催の為来られた川埜夫妻とJICAでお昼をご一緒したのが出会いでした。「異形の胎動」2010 笠岡市立竹喬美術館<岡山県>のチラシを拝見して中世の雰囲気をもち豊かな造型力、完成度の高い作品群にどのような世界観をもっておられるのかなと思ったのを覚えています。今回は黄金町バザールのギャラリーで新作や犬島ハウスプロジェクトなど川埜さんと切り離せない海についてお聞きしました。

 

常夜海(トコヨノウミ)について

個展『常夜海』トコヨノウミ 展
会期:2014年9月5日(金)~9月30日(火)
*第3木曜 休場 時間:11時00分~19時00分 会場:Gallery Saitou Fine Arts(YSEMI PROJECT)
横浜市中区初音町1−21−17 ハツネウイングB−2 最寄り駅:京急線 「日ノ出町駅」「黄金町駅」 徒歩5分
『仮想のコミュニティ・アジアー黄金町バザール2014』参加プログラム

川埜さんの作品には舟、本、カラスなどや海にまつわるテーマが繰り返し現れますね。新作のタイトルにもある「常夜」とは常世ともいい永久に変わらない神域、死後の世界とされ「永久」を意味すると書かれています。常夜は常に夜の状態で死者の国と同一視される場合もあるとされ大変意味の深い題材だと思います。

舟は死んだ骨を意味し、ここでは舟が血で満たされています。生きる血。死ねば骨だけど血はいつまでも流れ続けているというイメージがあって。僕にとって海は一番大事なものとしていつも現れてくるんです。この人はオールももっていないし、どこへ行くかもわからない。僕のつくる舟は行き先が決まっているものは舳先に鳥がとまっているんですよ。だけどこれにはなにもない。西夏さん(妻)は作品について感じたことを時々言ってくれるのですが、「この人は死ぬ方向へ進んで行くんだけど、血があふれているので生きる方向へいくのかもしれない」と話してくれたことがありました

夜に見ると深淵さが増しますね。空間にサイズを合わせたとのことですが、RAVEN同様もう少し大きな作品が生まれる可能性もあるかもしれませんね。私は舟の人は死者の魂だと感じました。恐れるものではないのですが、静かに何かを語りかける人なのかもしれません。川埜さんのイメージの元ってどこにあるのでしょう。

正確にはわからないけど、とにかく描いてこれはなんだろうと後から考える作業の繰り返しです。描くのが先ですね。そして描いたものが何かを調べる。ディティールのひとつひとつの意味をつなぎ合わせていくと物語ができてくる感じです。「グラン・ママの葬列」2007の原画は病室の祖母を10分くらいで描きました。彫の深いメキシコのシャーマンに似ている人だった。作品の周りにかけてある赤い糸はメキシコでは永遠の意味があるとか、グァダルーペの聖母に似ているとか後から教わるんです。最初から完成形を見ているわけです。ただ制作過程が空白なので、試行錯誤します。僕にとっては、人物の性格を作る必要があるんです。この人はどんなトーンでしゃべるのか、どんな音を聞いているのか、何を考えているのかなどです。顔のつくりは気にならないです。造形的に整っていることは重要ではなくて、その人(作品)が話しかけてくれるように人物を作ることが重要です。

時々かたつむりやアンモナイトみたいな形状が現れたり、繰り返される形がありますね。

本や舟を乗せてたりね。僕は欲張りで、いろんなことを作品にしゃべらせたい。イメージが複雑になってわかりにくくなるケースもあるんだけど、できるだけ伝えたいという欲求が強いからそうなるのかなぁ。

さきほどからお聞きしていると、すでに見えている像を描き写していくという工程ですね。写し取ったものの意味づけを西夏さんと一緒に解き明かしていく~という作業が次にあるということですか?川埜さんが想像したというより、生まれた作品の中に埋もれている物語があって、それをお2人で見つけていくということ?そうすると、これまでのご自分のルーツとか潜在的にあるものとかを無意識に探っているという作業にも似ているといえるかもしれませんね。

そうなんだと思います。

ー言葉は説明ではなくエピソードとしてー

詩や何かの引用をよくつかわれたりしますが。

制作中に言葉を必ず書くんです。なぜ絵を描いているのか言葉に置き換えているようなところがあって。言葉が重要な時があります。かといって作品をテキストで表そうとしているのではないし、文章で説明することはないんですが。 さっき来てくれた黄金町スタジオで制作しているフランシス真悟さん達は作品を見てくれて、すぐキャッチした印象を話してくれたでしょ。そういうことを大事にしているんです。多くの人達はなんでも先に聞きたがる。まず説明を欲しがる。だからできるだけしゃべらないで謎めいた文字を残して広範囲に享受してもらうことを恐れず、マイノリティになったとしても僕は僕の世界が好きだから、それでいいんです。腑に落ちなくていいんです。3年後、5年後でも数人でも腑に落ちてくれたとしたら最高なんです。 今回もブログに書いたけど、産まれ落ち 千代に八千代に 舟と海 手を振れど 漂う風の吹きぬける この身は独り 常夜海に寂滅す 死んだ骨と生きる血 舟と海 死んだ骨と生きる血、と書いたけど、血生まれ落ち千代に八千代に~というのは、繁栄を示し、手をのばしてぬるい風が海面を漂っているだけ~と。死ぬという言葉を書いていないけど、煩悩を捨てて新しい境地が死ぬことなのかも、あるいは生まれ変わって新しい世界へ向かっていくのかもしれない。寂滅ということをそのように解釈しています。死んだ骨と生きる血は僕たちの循環システムなんだろうなと。

「常夜海」が完成した時にブログの中で昔の作品をずっと見ていたという記述がありましたが、その「鎮魂曲」はいつ描かれたものですか?

僕が20歳くらいの時。大学時代ですね。あの時は一緒に制作していた友人が海で死んだんです。直前に「ご飯食べに行こうよ」って言われた時に搬入で岡山に行かなければならなくて「また今度な」って言ったのが最後でした。その後描いた絵です。人にも会いたくなくて。僕はいつも移動した先の仕事場にあの絵を飾っていたんだけど、今回譲ってほしいと僕のコレクターの方から連絡があり、話を聞いてそろそろ手渡す時期になったのかなと思ってきれいにして納品したところなんです。先方は祭壇みたいな場所を準備してくださっていました。

ー音づくりはいつも即興で制作の合間にー
今回は7年ぶりに作品に合わせてサウンドトラックを作ったということですね。

僕は全然楽器とか弾けないんだよ。いつも森英樹さん(通称:森ちゃん)と一緒に作るんだけど、打合せなしだから例えばピアノの前で「今回は黒(黒鍵)を弾こう。俺は右で森ちゃんは左な」って感じで。即興です。

音源はその後編曲したりするんですか?何トラックくらい?

編曲なしのそのままで、2トラックです。その後、ピアノと合わせる音を探して扇風機を回して後ろで僕がチェロを弾いてみたりして。もちろんチェロなんか弾けないよ。

即興的演奏をCDにし、紙ジャケットは手刷りの版画でエディションつきととことんですね。それも常夜海を制作しながら同時進行で作られた。

楽しいでしょ。やるならそこまでしないと。

自分の作品に音をつけるのはプロ意識からすると少し気が引けるのではないかと思っていたのですが、作品のもつ世界観をサウンドスケープとして空間そのものをつくりあげていくようなインスタレーションですね。

たまに会場で作品に合いそうな音楽を流している人いるでしょう。僕は知らない人の曲を流すよりも自分で作った音を流したい。あるいは作品を見て作曲してくれた音を聞いてもらいたいかな。専門ではないけど、何かできるんじゃないかといつも思っています。 「グラン・ママの葬列」の展示では本を開くところから作品が展開していき、その中にはグラン・ママの人生と死について描かれていて、手紙という舟や次に住む家と出会うところまでを表現しているんだ。 その時の音はもっと曲に近かった。今回はこの最後の曲だけが(会場で流れている)音楽っぽい。 雨の音からピアノに変わってノイズに移り、ちょっと精神的に破綻していく状態からきれいな音のエンドロールで終わっていく感じ。リズム、正確な調律やメロディなどはいらない。その方がこの作品には合いそうな気がしたからです。

-しばらく会場内の音に聞き入る。-

この音はチェロなんだけど、青山の展示の時に来てくれていた西夏さんの亡くなった叔父さんの形見なんです。今回初めて音をおさめたいなと思って。チェロの音を弾いてみたら、氷を割って舟が進むような音に似ているなと。海の底から何か鳴っているような生き物の存在を感じさせるような音に聞こえて、これだなと思いました。

音選びとか音作りは作品を作りながら、その最中に思いついてやっていくのですか?又音づくりが完成するまで、どれくらい時間がかかりましたか?

全部制作と同時進行だよ。とぎれとぎれに作っていくから、2週間に1回二人で2曲くらい作って、さらに2週間くらいの間に調整したり。僕が制作している時に森ちゃん(森英樹さん)が音の調整をしていて、僕はそれを聞きながら、そこはもっと高音にする?とか感じたことを言っていくという流れです。次はこの楽器を使ってみる?とかね。

ということはアトリエに楽器もいろいろと置いてあるということですね。

そうそう、粘土の脇にチェロが置いてあったりね。ちょっとジャンべが欲しいねと言うとすぐ出てくるよ。

ー島犬と島のこどもたちー

犬島ハウスプロジェクトは2012~2014 3月までかかった大きなプロジェクトで現在も進行中ですね。後半の全国によびかけて犬の身体に貼りつけていく犬用タイルワークショップは圧巻でした。写真で拝見したのですが、犬が港から犬島を目指して海を渡るシーンは感動的ですね。この夏、犬島を川埜さんに案内していただいてその規模の大きさや島民の方々に親しまれている様子を知りとてもいい時間を過ごさせていただきました。

 

これからですが、海を犬が渡っていくところから始まって犬島の犬になっていくという物語を膨大な記録をまとめて一冊の本にしようと思っているんです。動画でも沢山記録しています。

ブログで拝見したのですが、犬が乗っている船めがけて島の子どもたちが一斉にカヤックで集まってきて、船から西夏さんが心配そうに子どもたちの方に手をのばしているというとても印象的な写真があって。島の学校の統合についても書かれていましたね。

僕は島の学校をなくすということには反対で、大人もこどもも利用できる学校にしていくとかよりよく活用していく方法があると思っています。先生は島まで行くのは大変だと思うでしょう。だけど島に行った先生に聞くと船の運航時間があるから、規則的な生活ができるらしい。島の子どもたちが夕陽を眺めている時間を失くして、通学の為の移動時間に変えて船を待つ時間にコンビニでたむろさせて、それが教育だとはどうしても思えないんだよね。国の教育の在り方として、どんなへんぴなところにでもすみずみまで教育を受けたい人のところに人を派遣していくのが責任だと思う。

少ないからとかそれだけの理由で学校を廃校にするのはやめてほしい。季節ごとに子どもたちが集まる島を決めて、たとえば夏は白石島、冬は飛島で勉強するということだってできるかもしれないし。島を巡回させて近隣の島々の子どもたちが協力しあって何か新しい活動が生まれるとか、そういう時間をつくることが有意義なことなんじゃないかと思う。腹が立ったのは島にいると人数が少ないから社会性が学べないと言われている点。そんなことないよ。あとね、島の子どもたちを見ていて思うのは、学年とか関係ないこと。誰ということなく大人もこどもも一緒になって夕陽見てたりしてね。そういうことって学校が言っている社会性なんかよりもよっぽどいいコミュニケーション方法を学んでいると思う。残念なのは、彼らが陸地でそれと同じことを経験できるかというとちがうだろうと。本来そうあるべきことがそうならないという現実に直面するよね。実は陸地にいる僕らが学ばなければならないことが島にはあると思っているんです。

の時間は特別ですね。たとえば犬島でも近くの島でもいいから、ものづくりしながら島へ短期留学!みたいな活動をしてみては?

そうだね(笑)白石では全員で犬用タイルワークショップをしたよ。犬が出発する前だったかな。小中学校に直接提案しに伺って、学校側から「島でしか体験できないより多くのことを体験させたい」と言ってもらえて実現したんだ。その後島犬が海を渡って犬島へ行くよと話したら、中学生たちがカヤックで島犬を追いかけてきてくれた。確か前日に修学旅行から帰ってきたばかりだったから、きっと無理だろうなと思っていたら全員が来てくれてとても嬉しかったのを今も覚えている。

取材に来ていた多くの新聞記者の方々もこんな光景はナカナカないと感動している様子だったなぁ。 こどもたちにカヤックで迎えてもらえたらなと思ったのはずいぶん前の話になるけど、西夏さんを笠岡界隈に案内したくて島めぐりをしていた時のことで、小さな島のかげから立ちこぎをする舟に乗った子どもたちがわぁ~っとたくさん現れたんだ。その時の光景を見て感動して。島の子どもたちってこんな風なんだと。それがもう一度見たかったんです(笑)。

 

ー船の男たちー
話は変わるけど、島犬の乗った舟が大型船日本丸の脇を通った時に船員が帽子を手にとって振ってくれたんです。それがマナーと聞いたんだけど嬉しかったな。海上では船同志は助け合うのが普通で、煙を吐いている船を遠方に見つけた島犬を船頭していた船が「ちょっと止っていて」といって急発進して救助に向かったこともあった。島犬は船団で犬島に航行したので、漁業で沖に出ていた船がホラ貝を吹きながら近寄ってきたり想像しえなかった賑やかさでした。(参考)瀬戸内海横断散歩

とはいうものの、出発間際まで犬を犬島まで運んでくれる船も船頭さんも見つからなくてひやひやしました。やっと出会った時の嬉しさといったら。燃料費だけなのに沢山の船が集まってくれただけでなく、移動中の昼ごはんや島に着いてからの食糧なども全部用意してくれてありがたかったです。笠岡諸島の白石島は瀬戸芸に参加しなかった島で、僕らのような活動があることに賛同して協力してくれました。 この船団を中心になって束ねてくれた人との出会いは、僕が作った島犬を運ぶ船のポスターを見て「あんな船はないぞ」と僕の友人に教えてくれたことがきっかけです。その後その人が「船をだそうか?」と申し出てくれたんです。  

ギャラリーラガルト
最後に2008年ご自身で立ち上げ、定期的に個展を開かれている倉敷市にあるギャラリーラガルトについてお聞きします。ラガルトとはスペイン語で「とかげ」を意味しますが、またナゼ「とかげ」だったのでしょう。

僕も西夏さんもやもりとかとかげが好きなんです。僕らが結婚する時に、西夏さんの知人で彫金の作家さんから、デザインして原型を作ってくれたら指輪にしてあげると言ってくれて。指にとかげが巻いている形を作ったんです。そのとかげは背中に羅針盤を背負っていて行く先を示してくれる。2008年にギャラリーを立ち上げる時にシンボルマークはとかげだな!と思いました。ラガルトLAGARTOのスペルにARTが入ってるでしょ。これはいい!!ってことで。そういうことです。
(注)西夏さんはスペイン語翻訳家でもあり、お2人はキューバで出会いスペイン語は馴染みのある言語。

なるほど!!

【次回の展示】 個展 「無心に降る百年」
会期:2014年10月3日(金)~10月13日(月) *8日(水)休廊

時間:12時00分~17時00分 *最終日は16時まで
会場: Gallery I  京都市中京区寺町通夷川上ル西側久遠院前町671-1寺町エースビル1F西
作家在廊日:3~6日、12、13日

≪編集後記≫
「方法はひとつじゃない。」彼の活動や表現の多様性はここにあるような気がします。 初めての海外旅行が2000年に仕事で行ったキューバ。その衝激的な出会いは今なおご自身の原動力となっているとのこと。彼の生き生きとした示唆に富む言葉の多くから、もし学生らが直接現場で彼と一緒に活動する機会があれば有意義な体験ができることだろうと思いました。小学校から大学までことごとく排斥されるような体験をしたと語る彼にとって唯一大学であたたかく見守ってくれた恩師がご夫婦で会場に来られ、ゆっくりと作品を見ながら「お前はこの形が昔から好きだよなぁ。」と目を細めておられたのが心に残っています。 次回はキューバの話題を中心に、片腕でもある大切な奥さま西夏さんとのこと、敬愛するアンヘル・ラミーレスとの再会と共同制作、ハバナ・ビエンナーレ大作戦のエピソードやキューバのアート事情、ISA(高等芸術院)の訪問、教育環境についても積極的に視察し学んだことなどに触れたいと思います。                                                                                                                                                      撮影協力 mio kisaca                                                                 

川埜龍三(かわのりゅうぞう)
1976年 神戸市生まれ
2000年 高知大学特設美術学科教員養成課程卒業
2008年 オフィシャルギャラリー「ラガルト」設立
主な個展
2013年「身体に潜る詩」MU東心斎橋画廊 大阪府
2010年「異形の胎動」笠岡市立竹喬美術館 岡山市
主なグループ展
2012年 アートフェア東京 東京国際フォーラム
Bazaar Art Jakarta 2012  The Ritz Carton Jakarta インドネシア
2011年 第14回 岡本太郎現代芸術賞展 川崎市岡本太郎美術館 神奈川
2009年 第10回 ハバナ・ビエンナーレ正式関連企画 「アジア的なもの、キューバ的なもの そして日本的なもの」他パブリックアートなど多数

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